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財布には金がなかった

551 名前:Mr.名無しさん[] 投稿日:2012/05/20(日) 13:05:25.48


落とした財布がみつかったと警察から連絡がきた.

嬉々として取りに行くと,


警官「誠に申し上げにくいのですが,現金がほとんどなくなっているようです」との返答.



私「誠に申し上げにくいのですが,1円も減っていません」

警官「誠に申し分けありませんでした」



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Tag:全俺が泣いた話  Trackback:0 comment:1 

蛍が運んでくれたもの

去年の7月、もうすぐ4歳になる娘を連れて2人で蛍を見に行った。

あたりの暗さが徐々に増すと、空中を飛ぶ蛍の数が一段と増えた。
「クリスマスみたいだね?パパ。」
森をバックに点滅しながら飛ぶ蛍や、木の幹や枝、葉っぱに止まって光る蛍。確かにクリスマスツリーのイルミネーションを見ているようだ。
生まれて初めて見る蛍に興奮気味の娘。
一匹の蛍が舞い降りてきたかと思うと、ふわりと娘の手に止まった。淡いグリーンの光を放ち、ゆっくりと点滅を繰り返す。
娘は満面の笑みを浮かべながら、じっとその姿を見つめていた。
ほんの僅かな時間だったが、やがて森の方にゆらゆらと飛び去った。
「Aちゃんがまだママのお腹の中にいる時、パパとママはここに蛍を見に来たんだよ。Aちゃんと同じように、その時もママの手に蛍が止まったんだよ。」
「じゃあ、さっきの蛍はママのと同じ蛍かな?」
「そうだね。同じかもしれないね…。」
そう答えると思わず涙が出てきてしまった。
「また来ようね、パパ。」
そう嬉しそうに言った娘をぎゅっと抱きしめた。


Aの予定日の1ヶ月前、大きなお腹をしたお前の手を引いてこの場所に来たね。
お前の手に止まった蛍を見て、2人で一緒に喜んだね。
蛍も無事に元気な子を産めるように励ましてくれてるよ。きっと良いことあるよって。
来年は3人で来ようねと約束したのに……。
さっきのAの笑顔は、あの時のお前と同じ顔をしてたよ。


妻は娘が1歳になる前に先立ってしまったため、娘には母親の記憶など無い。
母と娘を結び付ける体験をさせてくれた蛍に感謝した。


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パルプンテ

今日嫁の誕生日だったからパルプンテ唱えてみた。

予約していたレストランで食事。その時にプレゼントも渡す。

でも呪文はまだ。


食事の後、ドライブ。
緊張で口数が減っていく俺(結婚して20年、一度も言ってません)

嫁「何黙ってんの」

俺「別に」
やべぇ、心臓が飛び出しそうだ。

付き合ってたときによく行ってた夜景ポイントに到着。

嫁「懐かしいね、ここ」

俺「ああ、あぁぁ、そだな」
日本語がぎこちないぞ、俺。

嫁「どうしたの? 変だよ」

俺「あのな、○○←息子の名前 も就職して独立したろ」

嫁「そうだねぇ。大変だったけどあっという間だったね」しみじみ

俺「それでな、あのな、そのな・・・・」

嫁「おーい、大丈夫かぁ」
と言いながら俺の手を握る。


今しか無い

手を握り返して「今までありがとう これからまた二人だからよろしくな。愛してるぞ」

嫁「え、え、え、え、え、・・・・・」


しばし沈黙 やばい 地雷踏んだか? 暗くて顔見えないし。


嫁 泣き声で
「ありがとう 私も愛してる これからもよろしくです。」


ばかやろう 泣くんじゃない  俺も泣きそうだろうが


下向いてる嫁の顔をこっち向かせてキス。
もう止まりません。

後は想像どおり 場所を変えてがんばったよ俺。
久しぶりに興奮したぞw

普段は気が強くて絶対に俺には涙なんか見せない。
結婚申し込んだ時以来だ。俺もそれ以来パルプンテ唱えてないし。


惚れ直した。おばさん化しないで頑張ってるし。

「生きてきて最高に幸せ(はぁと」
とか言いやがった。


俺45
嫁43


言ってよかったよ パルプンテ

横で幸せそうに寝ている嫁を見てると、やっぱり言ってよかったと思ってる。

続け勇者よ。待ってるぞ


嫁「はぁ~ 幸せ」しみじみ
とか言いながらニコニコしております

こんなに素直に感情を表している嫁を見るのは初めてかもしれません。
思わず抱きしめたじゃないかよう。

これからまた恋人同士みたいにやっていけそうです。
ありがとうみんな



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最後の一仕事

私は、中学校入学ごろからコスプレをしだした。

おじいちゃんとおばあちゃんは、洋裁屋さんだった。
両親も共働きで帰りも遅いので、必然的に、
おじいちゃんとおばあちゃんのお店に入り浸ってた。
だから、いろんなものの作り方を教えてもらったり、作ってもらったりした。
 

 
 
おじいちゃんもおばあちゃんも、私のことをすごく可愛がってくれて、
コスプレ衣装を作りたいと言ったときにも、
「面白い服だねぇ。どれ、じいちゃんもがんばって見よう」と、
じいちゃん達は、どう考えても今まで作ったことがないだろう種類の服を、
私と一緒に作ってくれた。

おばあちゃんは昔、美容師をやっていたから、
髪型もキャラと同じにアレンジしてくれたり、化粧もしてくれた。

完成した時、おじいちゃんもおばあちゃんも、

「Oちゃん、お姫様だねぇおじいさん」
「Oちゃんはオラ達のお姫様だよ」

と、こっぱずかしくなるような喜び方をしてくれた。
10年ぐらいたつのに、今でも忘れない。


そのうち、おばあちゃんとおじいちゃんは
「今度はなに作ろうか?」と、言ってくれるようになった。

年のせいもあるし、大型店舗がそこに移ってくると言う理由で
おじいちゃんおばあちゃんは、店を畳んで暇になったからかもしれない。

「Oちゃんと一緒にお洋服を作って、
 それをOちゃんが着てニコニコしてくれてるのが、じいちゃん達の生き甲斐だよ」

と、言ってくれた。

「何でそんなに上手なの?」と聞くと、じいちゃんは
「基本がわかっていればなんだってできるよ」と言った。

「基本がしっかりしていれば、応用もある程度効く。
 だからOちゃん、基本は何事もしっかりとやるんだよ」

と、笑ってた。

コスプレ衣装も、ロリ服もゴスロリも、じいちゃんとばあちゃんは作ってくれる。



ある時、鎧や武器とかを作りたくなった。
でも、じいちゃんとばあちゃんには作れなかった。
鎧を脱いだ服は、何とか自分で作れたけど…。

落ち込んでる私に、じいちゃんたちは「ごめんね」と言った。じいちゃん達は悪くない。
むしろ、悪かった所を、直してくれたりもしてくれて、衣装は完璧だった。

コスプレを通じて出来た友達との、初あわせだったから、
すごく楽しみにしてたから、しょんぼりしてた。

「ごめんね、鎧だけはできない」

って、じいちゃんすごく悲しそうだった。

ばあちゃんが後で話してくれたけど、じいちゃんは
ダンボールで作ったりと試行錯誤を続けてた。

それでも

「Oちゃんにこんなのを着せるわけにはいかない。
 プロとしても、もっと良い物が作りたい」

と、それを秘密にしていたって。

そうして三人しょんぼりしてるうちに、
じいちゃんの弟が訪ねてきた。おじさんは看板屋さん。

おじさんが、「ライオンボード使えば良いじゃねーの。
うちにあるから好きなだけ持ってけー」と、言ってくれて、
その加工の仕方をじいちゃんと私に教えてくれた。

そのほかにも加工の仕方を二人で勉強して、以来、じいちゃんは何でも作れるようになった。


じいちゃんとばあちゃんの洋裁屋を再興させたくて、
高校も服飾学科だったし、専門学校もそっちに進んだ。

じいちゃんとばあちゃんはそれを喜んで、何十年も使ってるトルソーを、私にくれた。

「オラ達が死んだら、この道具はOちゃんに全部あげるよ」

と言ってくれた。


成人式の着物は、じいちゃんとばあちゃんが作ってくれた。
とてもきれいな振袖で、ちょっと覚えた「ゴシック」入ってるけど、
友達や周りの人からは「いいなー」って言われた。
「何円で売ってくれる?」とも言われたけど、売れないと断った。



私の成人式から三ヵ月後、じいちゃんの癌が発覚。余命一年だと宣告された。
「入院しますか?してください」と言われても、じいちゃんは

「一年?…十分、最後の一仕事ができる」

と言って、ウェディングドレスを縫ってくれた。

結婚する相手なんて居なかったけど、
完成したそれを着た時、じいちゃんとばあちゃんは
「思い残すことなんかないな」と頷きあって、嬉しそうに笑って泣いた。


それが良かったのか、何が良かったのかはわからないけど、
じいちゃんは余命一年と言われ、三年経った今でも元気。
お医者さんにも、不思議がられてる。

「あれ?オラ、死ぬんじゃなかったっけ?」

とよく言ってるけど、今でも元気にコスプレ衣装を作ってくれてる。

友人に「売ればいいのに!」と言われるけど、
「これは趣味だから」と言って、じいちゃんもばあちゃんも突っぱねてる。
もう少し、私の腕が上達したら、またどこかにお店を出そうねと約束してる。


今度、お金が入る予定なので、じいちゃんとばあちゃんと一緒に温泉旅行行ってきます。



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偉大な父親

俺と親友Aは家が隣同士で、産まれた日も病院も一緒だった。生まれながらのライバルというわけだが、そんな設定にノリやすい俺は、5歳にして厨二病院に罹患した。俺とAは勇者かヒーローかよくわからんが、とりあえず地球を救うような何かものすごい使命を帯びて産まれて来た宿命のライバル同士だと思い込んでいた。

Aとは保育園も一緒だった。一方的なライバル心を燃やす俺にとって、身体測定は一大イベントだった。身長と体重がどれだけ大きいかがステータスだった俺は極限まで背筋を張ったりして努力したが、結局在園中は全敗だった。

しかし、小学校に上がると転機が訪れた。身体測定の項目が増えたからだ。

やってきた運命の日、俺は対抗心を極限まで燃やし、測定時には異常なほどに興奮していた。もちろん、俺の中では究極にまで小宇宙を高めた聖闘士のつもりだったが、当時は男女一緒に身体測定をする時代だったので、変に興奮していた俺は、別の意味で担任を困惑させてしまったかもしれない。

そして運命の結果発表…

俺は歓喜した

身長と体重は負けたが、ついに一つだけAに勝ったのだった。

狂ったように喜び、サンバと盆踊りとタケノコ体操を乱れ打ちする俺を、狂喜乱舞という言葉以外では表現できなかっただろう。テンションMAXのまま家に帰り、父親に報告した。

俺「やった!やったでー!! ついにAに勝ったでー!!!」

父「どうしたんや?」

俺「あんなー、今日身体測定あったんやけどなー、身長と体重は勝たれへんかったけど、ついにいっこだけ勝ったんやでー!!!」

父「何で勝てたん?」

俺「座高!!!!!!」

一瞬微妙な顔をしたが、父親はすぐに満面の笑みを浮かべて俺を褒めちぎった。

という話を思い出したので、父の日で実家に電話した昨日、この話を父親にし、何でこんな壮大なボケにツッコミを入れなかったのか尋ねた。

すると、「お前は一生懸命になっている人間に対して馬鹿にできるのか?」と言われた。続いて「俺はな、一生懸命やってるアホな奴が好きなんや。そういう奴を馬鹿にして足を引っ張る奴よりもよほど価値があると思ってるんや」と言っていた。

自分からやりたいと言い出したことについては、トコトンまでやらせてくれた父親がいたからこそ今の自分があるんだと改めて理解し、思わず涙が出て言葉に詰まった。

そんな俺に対して、「でもな、今だから言うけど、俺は半世紀以上生きてきたけどあれ以上に面白いギャグはなかったで。千回以上は思い出し笑いしてるで。ぶへへへ」と照れ隠しで笑わせてきた。

やはりまだまだ父親にはかなわない。普通のおっさんだが、俺にとってはいつまでも偉大な父だ。



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